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早い、安い、だけでない。「牛丼」のうまさの秘密

“牛丼ひとすじ300年、早いの、うまいの、安いの〜♪”
このフレーズが記憶にある諸兄も多いはず。

80年代に一世を風靡した、漫画「キン肉マン」でお馴染みのこの歌。
テレビアニメで毎週のように流れてきたこのフレーズを口ずさめる方、多いのではないでしょうか。

実はこれ、𠮷野家のCM“牛丼ひとすじ80年〜♪“のパロディなのです。
それもそのはず、牛丼の誕生は明治初期。
あの𠮷野家でも300年の歴史はないのです(といっても創業120年超!)。
とりわけガテン系に馴染み深い牛丼の歴史を紐解きながら、人気の秘密に迫りたいと思います。

牛丼の原点は「すき焼き」と「牛鍋」

日本では幕末まで牛肉を食す文化はありませんでした。
一方、現在の「すき焼き」に近い料理は江戸時代初期から存在していたようで、当時は「杉焼き」と呼ばれ、魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理だったようです。

その後江戸後期に入ってくると、使い古した鋤(すき)を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する「鋤焼き」と呼ばれる料理が登場。

この2つの料理が現在の「すき焼き」とされています。

その後、牛肉を用いた「牛鍋」が登場したのは、幕末の1862(文久2)年。
横浜で「伊勢熊」という居酒屋の主人が奥さんの反対を押し切り、牛の煮込みを売り出したのが始まりとされ、牛鍋は一気に広まりました。
当時の牛鍋は味噌ベースで、牛鍋をご飯にぶっかけた「牛めし」は庶民の間で急速に広がっていきます。

「牛丼」のはしりは『𠮷野家』

1899年、東京・日本橋にあった魚市場に『𠮷野家』が誕生します。
料亭で働いていた創業者の松田栄吉は牛めしに目をつけ、ややもすると下品な食べ物とされる牛めしを、高級な有田焼の丼で提供するスタイルを考案。
これを「牛丼」と命名して販売したところ大ヒット。
命名については諸説あるものの、𠮷野家が“牛丼ブームの火付け役”であることは疑いがありません。
その後、𠮷野家は紆余曲折ありながらも、130年を超える超老舗企業へと成長しました。

関東大震災で“味変”

大正時代に入っても牛丼人気は衰え知らずで、日本橋の魚河岸だけでなく、東京全域に広がりを見せていました。

しかし大正12年(1923年)9月、関東大震災が発生。
下町エリアを中心に、東京は壊滅的な被害を受けました。

多くの牛丼店も甚大な被害を受けるなか、数多くの露天商が出現。直後に市民の空腹を満たすため、関西から多くの料理人がやってきました。
同時に関西風のすき焼きが広がり、元々味噌ベースだった牛丼も醤油ベースへと“味変”を果たしたのです。

つまり現在の牛丼は、
関東風牛めしと関西風すき焼きが融合した結果だったのです。
 
早い、うまい、安い。
価格だけではない、こういった背景があるからこそ。
牛丼が日本全国で広く愛されているのは納得がいきますね。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。


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