駅弁の挑戦② 駅弁不遇の地が生んだ名作駅弁 崎陽軒「シウマイ弁当」
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駅弁の挑戦② 駅弁不遇の地が生んだ名作駅弁 崎陽軒「シウマイ弁当」

抜群の知名度を誇り、日本で一番売れている駅弁といえば崎陽軒の「シウマイ弁当」。
地元横浜はもちろん、出張族のマストアイテムとしても広く親しまれている駅弁です。

誕生したのは戦後、昭和29年と思いのほか歴史は短い? のです。日本鉄道発祥の地で生まれた「シウマイ弁当」はどのように生まれのでしょうか。

駅弁不遇の地「横浜駅」

崎陽軒が誕生したのは1908年(明治41年)4月。
日本に鉄道が開業した1872年(明治5年)から36年後のこと。
初代横浜駅(現在の桜木町駅)の4代目駅長であった久保久行氏が、妻の名義で横浜駅構内営業許可を得たことにはじまります。

この頃東海道本線沿線では、現在も続く大船駅の大船軒や国府津駅の東華軒など、主要な駅では必ずといっていいほど駅弁が販売されていました。

崎陽軒では当初、牛乳やサイダー、餅というラインナップで営業スタート。
その後、1915年(大正4年)に駅弁販売を開始するもあまり売れなかったようです。

なぜターミナル駅の横浜で、駅弁が売れなかったのか。
その理由はこうです。
終着の東京駅と横浜駅の間は、当時の蒸気機関車でも東京駅から1時間ほど。駅弁を買い、列車で駅弁を食べようとする人が少ないのも当然です。
横浜駅は駅弁不遇の地といっても過言ではないでしょう。

横浜名物「シウマイ」の誕生

後に崎陽軒初代社長になる野並茂吉氏は崎陽軒の将来を考え、創業者の孫・久保健氏とともに、まず「横浜名物」をつくることにしました。

当時横浜駅すぐ近くにあった南京街(現在の中華街)を探索し、料理店の突き出しとして提供されていた「シューマイ」に着目。車内で食べることを想定し、出来立てホカホカではなく「冷めてもおいしいシウマイ」を目指し開発をスタートしました。
南京街の点心職人をスカウトし、約1年の試行錯誤の末、90年以上も変わらぬ味で現在も愛されるあの味が誕生しました。

豚肉と干帆立貝柱を混ぜ合わせ、車内で食べてもこぼさぬように一口サイズとするなど、当時からかなり工夫を凝らした設計になっていました。

「シウマイ弁当」の誕生と進化

戦後世の中がまだ混乱していた時期に、横浜を少しでも明るくしようと赤い服を着てタスキをかけた「シウマイ娘」が横浜駅ホームでの販売を開始。その姿が話題を呼び、横浜名物シウマイは全国区の人気になりました。

そして1954年(昭和29年)、ついに念願の「シウマイ弁当」が誕生。
横浜名物シウマイに、焼き魚、玉子、横濱蒲鉾、筍煮と、バランス良い具材が加わり、こちらも瞬く間に大ヒット商品となりました。

その後も、醤油さし「ひょうちゃん」や駅弁初の「おしぼり」採用など、崎陽軒のシウマイ弁当は進化を続け、駅弁のトップとして絶対的な地位にまで登りつめたのです。

そしてシウマイ弁当で忘れてはならないのが、あの俵形のごはん!

独特のもっちり食感で冷めても固くなりにくいごはんの秘密は、通常の炊飯方法ではなく、コメを蒸し上げることにあるのです。
ここにも中華(ちまき)のノウハウが活かされていたのですね。

ごはん1かたまりでシュウマイ1個を食べる。
あんずは最初に食べる、いや最後のデザートだ。
たけのことマグロの漬け焼きをアテに一杯やって、それからごはんに進む……。

十人十色の楽しみ方ができるのもシウマイ弁当の魅力。
駅弁不遇の地だからこそ生まれた名作駅弁を、その歴史に思いを馳せながら味わってみてください。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。

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