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おにぎりのパートナー「海苔」の歴史

「おにぎりに欠かせないものといえば?」

と聞かれ、真っ先に思いつくものの一つが「海苔」ではないでしょうか。
しかし、海苔とおにぎりとの出会いは思いのほか最近で、一般的になったのは、なんと戦後になってからでした。

セレブな「海苔」と庶民の「おにぎり」

海苔の歴史への登場は古く、
奈良時代に編纂された「常陸国風土記」に

「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、浜辺一面に干されている海苔を見て感動した」

という記述があります。
偶然にもこの風土記には「常陸は握飯の国だ」という記述もあり、奈良時代から両者の出会いがあった可能性も否定はできません。

しかし当時の海苔は、大和朝廷への献上品として扱われており、事実、日本最古の成文憲法である「大宝律令」に、海苔は特に重宝される品とされていました。

天皇や貴族の食べものであったセレブ向きな「海苔」と、召使いの賄いや武士の兵糧として重宝されて「おにぎり」。
この当時は、まだ両者は出会っていなかったと考えるのが自然でしょう。

江戸時代の海苔養殖技術

江戸時代以前、海苔は昆布などほかの海藻類と同様に、流木や岩に自生しているものを集めて干して作られていました。
江戸中期に入り、江戸前漁師が魚の養殖をする生け簀の支柱に、海苔が生えているのを発見し、養殖技術を開発。
海中に「ソダヒビ」という枝を束ねた支柱を立てて、たくさん海苔が採れるようになりました。

この当時養殖されていた海苔は「アサクサノリ」と呼ばれる品種で、現代に主に養殖されている「スサビノリ」とは異なります。
「アサクサノリ」は「スサビノリ」と比べると収量も少なく、当時は養殖といっても勘頼りだったので、希少なものには変わらず、上級武士や豪商の間で愛され、一般庶民には高嶺の花だったようです。
ちなみに「アサクサノリ」は東京浅草の隅田川河口付近で採れたので、その名がついたとされています。

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海苔の養殖を発展させたイギリス人女性

江戸から明治にかけ、支柱を立てて海苔を養殖する技術は確立されたものの、冬場に育つ海苔は夏の間どこにいるのか、海苔の胞子(卵)はどう育つかは、長らく謎のままでした。
これが解明されたのはなんと戦後の昭和24年。
発見したのはイギリス人海藻学者のベーカー女史でした。

それまでは、海苔の胞子は海の中に浮遊し、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、秋口に果胞子を出すと思われていました。
ベーカー女史は、海苔の胞子は春先から秋口まで貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態(糸状体)で生長し、秋口に貝から飛び出すことを発見。
この発見によって初めて海苔の一生が明らかになり、海苔の胞子を貝殻(牡蠣殻)に付着させて育てる方法が確立され、現代のように海苔の大量生産が可能になったのです。

今ではおにぎりに当たり前のように巻かれる海苔ですが、しっかり味わって食べたいものですね。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。

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