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[どうしてそうなった!?]あきたこまち

[どうしてそうなった!?]は、変わったお米のネーミングの由来についてご紹介していくシリーズです。

今回のお米は
秋田県の「あきたこまち」です。

インパクトある名前で鮮烈にデビューした「あきたこまち」

生産量は全国第3位の良食味米です。
日本穀物検定協会の「食味ランキング」では最高位の「特A」に何度も選定されています。
そして……その名の通り、秋田県のブランド米です。

開発が始まったのは1975年。
当時から美味しいお米として有名であった「コシヒカリ」は気候が合わず、秋田県では栽培できませんでした。
そこで「コシヒカリ」の良さを受け継ぐお米を目標に開発がスタートします。そして出来たのが「コシヒカリ」を親に持つ「秋田31号」。
味もよく、秋田県での栽培に向いているのでは? ということで、開発した福井県から譲り受けました。

日本穀物検定協会による食味試験でも高い数値を出し、1984年には秋田県の奨励品種に採用。晴れて「あきたこまち」のデビューです。

「あきたこまち」は公募で出された名前の一つでした。
平安時代の有名な歌人、小野小町の生まれが秋田県といわれていることにちなんで出てきた名前でしたが、ネーミングの最終決定者である当時の県知事が迷うことなくこの名前を選んだと言われています。
それほどまでに当時としてはインパクトのある名前でした。

当時、お米の品種名で「女性」を想起させるものはありませんでした。
米袋のキャラクターに女性の写真が使われたのも「あきたこまち」が最初でしょう。
筆者が子供のころ、本物? の「秋田美人」の写真が「あきたこまち」のネームとともに登場しているポスターが弊社の店内に掲示されていました。

そう、「あきたこまち」のデビューは鮮烈だったのです。

しかしデビューして35年以上たったいま、その立ち位置は「ブランド米」として非常に微妙です。


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「あきたこまち」の失敗とは

「あきたこまち」は、前述のように福井県で生まれた品種です。
その後、両県の間で権利の譲り合いがあり品種登録はされませんでした。
そのため「“あきた”こまち」にもかかわらず、岩手、福島、千葉、長野などあちこちで栽培されてしまったのです。

今はお米の品種登録は当たり前です。
山形県の「つや姫」、
北海道の「ゆめぴりか」、
福井県の「いちほまれ」……。

いずれも県ががっちりと種子を押さえており、滅多なことでは県外には出しません。
新品種開発及び栽培においては、ブランディングやマーケティングをしっかり行っているのです。

各自治体がこのような「囲い込み策」を行うのは、「あきたこまちの失敗」があるからです。

「あきたこまち」はそれなりにブランド力があるため、前述のように「あちこちで栽培」するようになったのです。
しかしそうなると生産量が多くなり、希少性が下がります。

また、あちこちで栽培すると品質にばらつきが出てしまい「美味しくないあきたこまち」も出てきてしまいます。
そうなると消費者の信頼を損ないます。

そうしたことの積み重ねの結果、いつしか「あきたこまち」は「誰でも知っている安いお米」の代表格になってしまったのです。

失敗を経て。期待高まる、秋田県の新しいブランド米「サキホコレ」

「安くて美味しいお米」は消費者にとって何よりの話です。しかし産地にとっては収入減に繋がるため看過できません。

そこで秋田県は「あきたこまち」以外のブランド米の開発を進めました。「淡雪こまち」「つぶぞろい」「あきのきらめき」等々……。
しかしいずれも成功したとは言い難い状況です。

そのようななか、来秋本格デビュー予定の品種が「サキホコレ」。
最近の品種名の流行は「ひらがな」か「漢字+ひらがな」です。そのなかでかつてのようなカタカナ表記というのは目新しく映ります。
そして普通は「名詞」ですが「動詞」というのも画期的です。

筆者は既に試食していますが、最近流行の「外側はパリッとして中はジューシー」を実現し、今までの秋田米にはない美味しさを実現しています。

秋田県の米の生産量は全国三位。その「稲作立県」の誇りを胸に開発された「あきたこまち」の後継米。今後、どのように成長するのか、注目です。

この記事を書いてくれた人:小池理雄(小池精米店三代目)
1971年原宿生まれ。明治大学卒業後、会社勤務を経て2006年に小池精米店を継ぐ。五ツ星お米マイスター。テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネット等のメディア出演多数。
共著「お米の世界へようこそ!」(経法ビジネス出版)


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