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連載「すしの歴史をたどる」⑥「にぎりずし」のはじまり

江戸後期、少なくとも文政年間(1818-1830)に誕生していた「にぎりずし」。
正確な誕生の時期や発祥の店は定かではないですが、極めて有力とされている店が2店ありました。

それが「與兵衛ずし」「松ヶ鮓」です。

にぎりずしの誕生=すしと山葵の出会い

“にぎりずしの元祖“として最も有力なのが、華屋與兵衛(小泉與兵衛)が起こした「與兵衛ずし」
1799年に霊岸島(現在の東京都中央区新川)生まれの與兵衛が行商から身を起こし、文政7年(1824)、元町(現在の墨田区両国)に「華屋」という屋号の店を開き、昭和5年まで四代にわたり続いたすしの名店です。

與兵衛は当初、屋台で押しずしを出していましたが、すでにいくつかの店で試されていた「握早漬」なるすしを改良。
酢で締めた飯の上にワサビをはさんでネタを乗せて握るという技法を、初めて編み出したとされています。
 
当時の狂歌にはこんなものがあります。

“こみあひて待ちくたびれる與兵衛ずし客も諸とも手を握りけり”
“鯛比良目いつも風味は與兵衛ずし買い手は見世にまって折詰”
“與兵衛すしつける山葵の口薬鉄砲巻の好むもののふ”

いずれも與兵衛ずしが繁盛をしていた様子が垣間みえ、山葵を使ったすしが一挙に江戸っ子の人気を博したことが見て取れます。
 
一方同じ頃、與兵衛ずしと双璧をなす店とされているのが、深川安宅町(現在の江東区新大橋)にあった「松ヶ鮓」です。
 
「松ヶ鮓」は「安宅松ヶ鮓」とも呼ばれ、堺屋松五郎が創業。
1830年刊行の『嬉遊笑覧』に“松ヶ鮓出き行われて世上のすし一変し”という一節があり、これを根拠に「松ヶ鮓」をにぎりずしの元祖とする説もあります。

また、 

“三聖もうましと云わん松ヶ鮓”
“伊豆山葵隠しに入れて人までもなかす安宅の丸漬けの鮓”

という句があり、松ヶ鮓が與兵衛ずしに負けず劣らず人気だったことや、山葵を使っていたことも読み取れます。
このあたり、現代の飲食店で元祖や本家やと競い合うのと同じく、いずれが先かははっきりしないというわけです。
 
その後「にぎりずし」は人気に拍車がかかり高級化し、「與兵衛ずし」と「松ヶ鮓」は繁栄を極めました。

ところが天保に入ると状況が一変。
老中水野忠邦が「倹約令」を発令し、暴利を貪るものとして200名以上を処罰。なんと與兵衛と松五郎は投獄されるという憂き目に遭ってしまいます。

ただ翌年水野が失脚したことにより、「にぎりずし」はすぐに人気が再燃。
明治以降、更なる発展をつづけます。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。

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