「すしの歴史をたどる」③すしの源流「なれずし」とは
「すし」の起源は東南アジアにあり、現在もタイ北部とラオスにまたがるメコン川流域を中心に「なれずし」が残っています。
日本でも数は少ないながらも「なれずし」が郷土の食として残っています。
今回はすしの源流である「なれずし」が、日本国内でどのように発展していったかをご紹介したいと思います。
「なれずし(ホンナレ)」と「生成(ナマナレ)」
「なれずし(ホンナレ)」は、魚・塩・米(飯)を原料とし、漬け込んで乳酸発酵させたのち、飯を取り除いて魚だけを食べるものをいいます。
その語源は、発酵が進むにつれて「馴れる、熟れる」ことからきています。
「なれずし」は元々魚を長期保存するための加工方法で、一年以上発酵させたのち、発酵を促す飯は落として魚を食べていました。
現在の滋賀県名物「ふなずし」は、古代の製法を色濃く残す「なれずし」として有名です。
また、平安時代の朝廷への貢物リストをみると、魚や貝類以外にも「鹿鮨」「猪鮨」といった動物の肉を漬けた「肉すし」もあったようです。
しかし、当時の「なれずし」のニオイは相当強烈だったようで……。
『今昔物語集』の「販婦の話」には、「酔っぱらって倒れたすし売りの女が、売り物のアユずしの上に反吐をはいた。すると女は急いで反吐をすしのなかに混ぜ込んでしまった。これを見た京の人々は一目散に逃げ去った」といった一説まで。
発酵と腐敗は紙一重とも言われますが、ちょっと強烈なエピソードです……。
一方「生成(ナマナレ)」が誕生したのは室町時代頃と言われています。
平安貴族や朝廷のものだった「すし」が、鎌倉武士の時代を経て全国へと広がり、庶民の暮らしにも浸透しはじめ、当時は贅沢品であった飯を捨てるのは勿体無いとして、改良されたようです。
“発酵が浅いすし”という意味で、ホンナレと同様、魚・塩・米(飯)を原料とし乳酸発酵させることには変わりはないものの、発酵期間が短く、魚とともに米(飯)も食します。
つまり、シャリとネタを一緒に食べる“現代のすし”の原型が誕生したのがこの頃。
現代でも関西地方を中心に全国的に愛されている「鯖ずし」「鮎ずし」などは、「ナマナレ」がより食べやすく発展したものになります。
ナマナレ応用編「飯ずし」
「飯ずし(イズシ)」とは、魚・塩・米(飯)に加え、麹と野菜を加えて乳酸発酵させたもの。現代でも残る「ハタハタずし」や「かぶらずし」などが「イズシ」にあたります。
これは北海道、東北、北陸と主に日本海側で広がった製法で、雪深い寒い地域で広がりました。これは寒さでそのままでは発酵しにくいので、麹を加えて発酵を促進させたためと考えられています。
この「イズシ」、実は日本海対岸の朝鮮半島北部にも似たような製法があり、魚(カレイなど)・塩・米または粟(飯)・野菜に、唐辛子と麦芽を加えて発酵促進させる「シッケ※」と呼ばるすしが存在しています。
※「シッケ」と呼ばれる伝統的な発酵飲料とは異なる
「シッケ」は日本経由か大陸経由で伝来したかは定かではありませんが、日本海を挟んで似たような食文化が広がっているのは興味深い事象です。
また京都では室町時代、精進用にタケノコやナス、ミョウガなどを使った“魚を使わない野菜ずし”も誕生しました。
ご飯を捨てていた「なれずし」は、中世にご飯と一緒に食べる「ナマナレ」や「イズシ」へと進化。
江戸時代に入るといよいよ「すし」に酢が用いられるようになり、更なる発展をしていくことになります。
この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。