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“ハヤシさん”が考案した? 「ハヤシライス」の由来

洋食メニューでオムライスと双璧をなすメニューといえば
ハヤシライス」

こちらもオムライスと同様に、明治時代の日本で誕生しました。その名前の由来には諸説あり、とりわけ有名なのが“ハヤシさんが作った”というもの。
実際に“ハヤシさん”が発明した料理なのか、みていきたいと思います。

二人の“ハヤシさん”

「ハヤシライス」の歴史を紐解いていくと、二人の“ハヤシさん”に出会います。

一人目は、東京「上野精養軒」にいたとされる、
料理人の林さん
従業員のまかない飯として、林さんが余った牛肉と野菜で作った料理が、のちに好評になったと言われています。

もう一人は、大手書店「丸善」の創業者、
早矢仕有的(はやし ゆうてき)さん
早矢仕さんは、世襲制が主流の明治日本において、いち早く西洋的な経営を手がけた人物として有名で、西洋の文化や学術を広めた人物として知られています。
そんな早矢仕さんの趣味は料理で、友人たちに振る舞ったメニューの一つに「ハヤシライス」があったそう。
また早矢仕さんは医師でもあり、栄養失調の患者のために考案した、とも言われています。

しかし、“精養軒の林さん”はそもそも実在したかどうか定かではなく、“丸善の早矢仕さん”も実際にレシピを残した証拠がないため、“ハヤシさん説”は有力とはいい難いようです。

“ハッシュ”がなまって“ハヤシ”に?

“ハヤシさん説”のほかにも、スライスした牛肉をデミグラスソースで煮込んだ「ハッシュドビーフ」にごはんを添えた料理を「ハッシュドビーフライス」と呼ぶようになり、それがなまって「ハヤシライス」になったとの説もあります。

しかし、明治時代の「ハッシュドビーフ」のレシピは、

焙った牛肉と茹でて小さく切ったジャガイモを混ぜ、バターを溶かした鍋に入れて絶えずかき回し、塩、コショウ少々を加えて、よく焼けたら取り出すもの

とされています。

デミグラスソースで煮込む「ハヤシライス」とは全く異なり、ハッシュドポテトのようなもの。
どうやら“ハッシュド=ハヤシ説”も少々違和感があります。

「ハヤシビフ」が原点?

「ハヤシ」という言葉が登場するもっとも古い文献は、1888(明治21)年に刊行された『軽便西洋料理法指南』。
この本には「ハヤシビフ」という名の料理が登場し、

薄切り牛肉と玉ねぎを煮たスープにシチューのソースを入れて煮る

とあり、現代の「ハヤシライス」に通じるものでした。

一方、明治40年に刊行された別の文献で紹介された「ビーフハヤシ」は、先にあげた「ハッシュドビーフ」(ハッシュドポテト)のレシピに近かったようです。
なお、大正以降の料理本では現代と同様のレシピで「ハヤシライス」が紹介されているようです。

謎が謎を呼ぶ「ハヤシライス」。
“ハヤシさん”なのか“ハッシュ”のなまりなのか。
レシピもさることながら、語源まではっきりしない「ハヤシライス」の由来。真相はすっかり煮込まれてしまったようです。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。


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