江戸時代から献上米として名を馳せる「多古米」
今回ご紹介するのは「多古米」です。
……ぱっと見、どのような読み方をするのか分からないと思いますが、「たこまい」と読みます。
その読み方に「まさか」と思う反面、ネーミングのインパクトの強さは十分に「ブランド米」としての資質を感じさせます。
「多古米」は、品種はコシヒカリがメインで、千葉県の北総台地に位置する多古町で栽培・販売されているブランド米です。千葉県といっても東京寄りの地域とは違い、比較的田んぼの多い地域に属します。
実は筆者が高校生のころ、友人の田舎が多古町近辺にあったため、仲間とよく遊びに行ったことがあります。当時は「東京の隣にある県とは思えないほど自然豊かな場所だなぁ」という感想を抱いたのを覚えています。
事実、その友人の田舎の家では多古米を栽培していたそうです。
そもそも「千葉県のお米」とはどのような位置づけなのか?
千葉県は、お米の産地としてはどのような認知をされているのでしょうか。
まず千葉県は、太平洋に面している沿岸に当たる外洋に黒潮が蛇行しているため比較的気候が温かく、早場米の産地として知られています。
そして品質。
実は都内の米屋界隈では「コシヒカリヒエラルキー」なるものがあり、その序列では1位は新潟県産。次に福島県産。その次に関東地方産のコシヒカリとなります。そしてここで言う「関東地方」とは茨城県・栃木県、そして千葉県の3つを指すのです。
それほどまでには千葉県産のコシヒカリは評価されているのです。
お米自体の生産量も多く、令和5年産では、千葉県は全国で9位の生産量を誇ります。
さらにコシヒカリ。
コシヒカリは一般的に「新潟県のお米」と思われがちですが、歴史を紐解くと実は千葉県も深い関係があるのです。
コシヒカリ自体は福井県生まれで、その後「我が県で育成栽培し、広めていこう!」と最初に手を挙げたのが、新潟県と千葉県でした。
昔から現代まで評価され続ける「多古米」
千葉県はお米の産地として実力があり、歴史も深い地域です。そしてその中で「多古米」は飛びぬけて有名なお米です。
このことからも、そのレベルの高さを伺い知ることができますが、「多古米」はここ最近で有名になったわけではありません。
なんと江戸時代には、徳川将軍へ献上された歴史もあります。
昭和46年には、全国自主流通米品評会において食味日本一に輝いたこともあります。
平成2年には「日本の米作り百選」に、平成26年には「皇室献上米」に選定されています。
そのネームバリューを生かして今では多古米だけの品評会「多古米グランプリ」なるものが開催され、生産者が腕を競い合っているのです。
恵まれた産地、千葉県多古町の「多古米」
多古町の栽培環境を見てみましょう。
町内のほぼ中央を栗山川が九十九里浜に向かって流れています。
町名の「多古」は、多くの湖沼が散在していたため「多湖」が由来では、と言われています。
多古町の田んぼは、そのような昔からあった湖沼の底に魚介類などが大量に堆積したため、アミノ酸やミネラルといった有機質が豊富に含まれている粘土質の土壌になっているのです。
その地力のおかげで、美味しいお米が収穫されるのです。
このように産地環境に恵まれ、また首都圏に位置するということもあり、その美味しさが知られるようになった「多古米」ですが、いかんせん「産地」としてはかなり狭い部類に入るため、生産量を劇的に増やすことは難しいようです。
生産量は千葉県産のお米のなかでも2%としか占めておりません。
事実、お米屋さんでも取り扱っているところは少数です。
そのような「多古米」の今後ですが……。
いま多古町には「多古米王子」と名乗る多古町議員がいらっしゃいます。
スーツを着ながら田植え機に乗るといったパフォーマンスで有名な生産者なのですが、彼がそのようなことをするのは、多古町の知名度を高め、町を盛り上げるため……です。
そう、有名であってもお米自体の消費量が落ちている現状においては安穏としていられないのは、多古町の「多古米」も例外ではないのです。
歴史ある確かな味を守りつつ、若い力で次のステップに進もうとしている多古米に、今後ますます目が離せません。
この記事を書いてくれた人:小池理雄(小池精米店三代目)
1971年原宿生まれ。明治大学卒業後、会社勤務を経て2006年に小池精米店を継ぐ。五ツ星お米マイスター。テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネット等のメディア出演多数。
共著「お米の世界へようこそ!」(経法ビジネス出版)