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[誰がブランドを決めるのか?]あきたこまち編

ほとんどの日本人が名前を知っているお米……「あきたこまち」。
2020年現在の作付面積は第4位。

デビューから35年以上経過した今、なお多くの消費者に支持されている驚異のお米です。

どのようにそのブランドは出来上がったのでしょうか?

1.名前が斬新!

今でこそ色々な品種名が見られますが、あきたこまちがデビューした1984年当時は「コシヒカリ」「ササニシキ」「日本晴」といった、どことなく古色蒼然、無骨な名前が主流でした。

そのようななか、女性の名前、しかも「ひらがな」で表示される品種名はかなり画期的でした。品種名は公募を経ていくつかの候補が上がりました。
その中に、平安時代の美しい歌人として有名な秋田生まれの小野小町にちなんだ「あきたこまち」という名前があり、最終決定者であった知事は迷うことなく選定したそうです。

その後、秋田県経済連(現在の全農秋田県本部)が首都圏の消費者を対象に行った独自調査では、「親しみやすい」「しゃれている」「覚えやすい」という意見が多数寄せられていました。

2.安定した良食味!

毎年各地で栽培される米を格付けする
「食味ランキング」(日本穀物検定協会)。

そこで初めて試験を受けた「あきたこまち」は、当時の二大巨頭……「コシヒカリ」(新潟県)と「ササニシキ」を上回る評価を得たのです。

その驚きの食味ランキングの結果を受けて、秋田県ではいっきに作付けが進みました。
しかし栽培量が増えるとその品質にばらつきが生じます。
そこで秋田県経済連は品質の安定した「あきたこまち」を確保するため、各地で栽培講習会の開催、栽培のポイントをまとめた冊子の配布、生産者団体の組織化、産地ごとの品質のばらつきの測定など、品質の平準化に向けてさまざまな取り組みを行ってきたのです。

3.キャンペーンガールの採用!

「ミスあきたこまち」による全国各地でのキャンペーン活動もかなり効果的でした。選ばれた女性たちが「小町まつり」(秋田県雄勝町)の衣装を着てポスター等に登場するのですが、当初は4 名の農協職員によってスタートしたこの取り組み。現在も規模を広げて継続されています。

このように米の販促でキャンペーンガールを採用すること自体、米業界では初めてのことでした。

「ミスあきたこまち」が四色刷りで米袋に印刷されたのも、かなり斬新でした。これは今でも他の品種では見られません。
それほどまでに「同じことをすれば『あきたこまちの二番煎じ』と思われる」くらいのインパクトの強さなのです。

なお、2014年にはあきたこまち誕生30周年を記念して壇蜜さんのキャラクターに採用されたのですが、当時、ポスターや販促品の問い合わせがかなり多く弊社にも寄せられました。

4.あちこちで目にする品種名!

「あきたこまち」はもともと福井県で開発されたこともあり、その特許を巡っては秋田県・福井県両県ともお互いに遠慮して登録しませんでした。
そんなお米が前述したように「美味しい」となれば各県は黙っていません。山形県、福島県、長野県、千葉県、茨城県……。
各地でも競うように栽培が始まり、その結果、どこのお米売り場に行っても必ずと言っていいほど「あきたこまち」のネームが目に入るのです。そしてお米売り場だけではなく飲食店等のレストランでも広く使われるようになり、飲食店の間でも広く知られるようになっていったのです。

このようにいくつかの要因が重なり、今の地位を築いた「あきたこまち」。辿ってきた道を見ると、大事なのは何はともあれ「味」。そして「お米らしい」という概念を捨てた戦略。この辺りが今現在、あちこちで開発されているブランド米が生き残るためのヒントになるかもしれません。

この記事を書いてくれた人:小池理雄(小池精米店三代目)
1971年原宿生まれ。明治大学卒業後、会社勤務を経て2006年に小池精米店を継ぐ。五ツ星お米マイスター。テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネット等のメディア出演多数。
共著「お米の世界へようこそ!」(経法ビジネス出版)