四角い「駅弁マーク」の秘密。 「駅弁の定義」その(2)
前回「駅弁」とは
「鉄道(国鉄)から駅構内で販売する承認を得て、規定を守り、鉄道(国鉄)に手数料を支払うもの」
であると触れました。
加えて、戦前の規定では、「米飯を主とし、これに数種のおかずを添えてひとつの容器に収めたもの」とされ、容器サイズ、おかずの数、売価まで、細かな決め事があったようです。
また昭和40年代までは「普通弁当」と「特殊弁当」というカテゴリ分けがあり、「普通弁当」は、幕の内弁当のような「ごはん+おかず数品」の組み合わせ、「特殊弁当」は、釜飯やかにめしのような炊き込みやご当地食材を使ったものとされ、各々売価の上限も決められるなど、戦中戦後の統制時代を思わせる規定もありました。
こうした国鉄時代のルールや慣習は、現在においても引き継がれています。
「駅弁マーク」とは
駅弁のパッケージにおなじみ、四角い「駅弁マーク」。
これは、駅弁事業者の団体である一般社団法人日本鉄道構内営業中央会(以下、中央会)が、国鉄が民営化された翌年の1988年に制定。
加盟事業者が自家製造した駅弁であることを証明するために登録商標したものです。
つまり、駅弁老舗の証、品質保証のマークともいえます。
しかしよく見てみると、このマークがない駅弁も数多く見受けられます。
これは中央会に加盟していない事業者が製造しているものです。
出典:米食文化研究所
「中央会」の栄枯盛衰
一般社団法人日本鉄道構内営業中央会の設立は、終戦直後の1946年8月。
同会は単なる互助会的なものではなく、「会員の会員の技能、資格の向上を期することにより一般旅客に対して最前のサービスを提供すること」(同会HPより)を目的として、設立されました。
元々非加盟だった老舗もありますが、加盟社のピークは昭和30年代で最大400社以上。
高度経済成長に伴う全国的な鉄道網の充実に加え、全国的な団体旅行ブームもあり、日本中の大きな駅のホームでは、駅弁の「立ち売り」が行われていました。
その後、時代の流れとともに廃業する事業者や、国鉄民営化後は脱退する事業者も増え、2000年頃には200社程度、直近ではわずか96社まで減少。新型コロナウイルス禍で、残念ながら今後さらに縮小することが見込まれます。
駅弁の風物詩である「立ち売り」は絶滅寸前。
一方、「駅弁大会」があれば、多くの人が集うのも駅弁。
これから先、駅弁業界はどうなってしまうか。
次回、駅弁の魅力を深掘りしながら、駅弁の未来図を考えたいと思います。
この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。