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[どうしてそうなった!?]どまんなか

山形県の駅弁で「美味しい!」と評判のお弁当があります。
その名も「牛肉どまん中」。
この名称を聞いて、一般の人であれば「牛肉が真ん中に鎮座してボリューミーな弁当に違いない」と思い描くと思いますが、僕ら米業界人はこのように思います。

懐かしい名前! まだ栽培している人はいるのかな?
と。

そう、この弁当に使われているお米こそが、かつて山形県のオリジナル品種として「はえぬき」と同時に華々しくデビューした「どまんなか」なのです。

デビューは1992年(平成4年)。
JA山形経済連は女優の小田茜さんをメインキャラクターに据え、「ユメのコメ」として「はえぬき」「どまんなか」を盛んにPRしていました。
その名称は、山形県が「米どころの中心を担っていく」とともに、「美味しさのどまんなかを突き抜ける味わいのあるお米」という意味から付けられました。

環境に左右されにくい品種

「どまんなか」は、産地は県内の中山間から平坦部に適し、倒れにくい性質がありますが、いもち病にやや弱い特徴があります。

山形県はかつて「ササニシキ」の生産量が多い地域でした。

「ササニシキ」の品質の良さが全国的にも評価され、いつしか庄内米は新潟米、宮城米と並ぶ御三家と称されることになります。それほどまでに山形県の「ササニシキ」の評判が良かったのです。

しかし「ササニシキ」の生育は環境に左右されやすく、収量や品質が安定しないという欠点がありました。
1980年(昭和55年)に発生した冷害は東北各地で「ササニシキ」を中心に深刻な凶作をもたらしました。ただ、その主要原因となる「やませ(春から夏にかけて北日本に吹く冷たい北東寄りの風)」は太平洋側に吹くため、日本海側にある山形県はあまり影響を受けず、それどころか「ササニシキ」の生産量は増えていたのです。

山形県産の「ササニシキ」はともかく、上記のような背景や東北各県が環境に左右されにくい新しい品種を開発していたこともあり、「ササニシキ」自体の生産量は落ちていきます。
そのようななか、1992年(平成4年)に山形県でも「ササニシキ」の品質が悪化する事態が発生したのです。その年、庄内地方のササニシキに白未熟粒が発生し、1等米比率が50%以下にまで落ち込んでしまいました。

そのタイミングで……「ササニシキ」に代わるカタチでデビューしたのが山形県オリジナル品種、「どまんなか」と「はえぬき」だったのです。

お弁当にも適しているお米

ただ……今でも時々ありますが、同じ県内のブランド米を同じ時期に二つ出すという戦略は、作る側にしてみれば栽培環境が違うので当たり前のことなのですが、買う側からしてみればどちらを買うか迷ってしまい、結局、山形のお米のファンが分散される結果になります。

冒頭のように「はえぬき」「どまんなか」はデビュー当時から経済連がテレビCMを流してPRに力を入れていましたが、デビュー翌年、まだ知名度が十分に高まっていないなかで「平成の大冷害」が発生しました。
それでも「はえぬき」はその耐冷性をいかんなく発揮して乗り切ったのですが、「どまんなか」は収量を著しく落としてしまいました。無理して栽培するほど知名度もない「どまんなか」は、いつしか生産者から避けられるようになってしまったのです。

「はえぬき」はその後、食味ランキングで「21年連続特A」という華々しい結果を残したいっぽう、「どまんなか」は以後、いつしか市場から消えていきました。

そして現在。「はえぬき」の生産量は2022年のデータで全国でも3%弱も占めているのに対し、「どまんなか」は山形県内であっても0.1%しかありません。

しかしその味……大粒の見栄えと、控えめな粘り、そしてすっきりとした食感は、今でも一部の消費者から支持されています。そして冷めても美味しく食べられるため、お弁当にも適しているのです。

冒頭の「牛肉どまん中」は山形新幹線開業と同時に開発されました。お米の生産量が少なくなった今でも、全国的に人気の高い駅弁として多くの人々に親しまれているのです。

この記事を書いてくれた人:小池理雄(小池精米店三代目)
1971年原宿生まれ。明治大学卒業後、会社勤務を経て2006年に小池精米店を継ぐ。五ツ星お米マイスター。テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネット等のメディア出演多数。
共著「お米の世界へようこそ!」(経法ビジネス出版)