「すしの歴史をたどる」①すしのルーツ東南アジアにあり!
すき焼き(Sukiyaki)、焼き鳥(Yakitori)、天ぷら(Tempura)、そば(Soba)、うどん(Udon)、ラーメン(Ramen)、弁当(Bento)……
日本語のまま世界で通じる日本の料理はたくさんありますが、その筆頭といえばやはり「すし(Sushi)」です。
「すし」は現代の「にぎりずし」をはじめ、さまざまな形で郷土料理として根付いているため“日本発祥の伝統料理”とお思いの方も多いはず。
しかしそのルーツは、稲作発祥といわれる中国南部ではなく、東南アジアにあったとされています。
まずは「すし」の起源について紐解いていきたいと思います。
「すし」の起源
東南アジアは「魚醤」を筆頭に、発酵食品が非常に発達した地域です。
「魚醤」は生の魚介類を塩漬けにし、魚に含まれる酵素の作用によって発酵し、魚に含まれるタンパク質がアミノ酸に分解され、液状になったものです。
一方、すしの起源とされる「なれずし」は、魚介類を主な材料として、塩と米飯を混ぜることによって乳酸発酵させた保存食です。
東南アジアでは「魚醤」に加え、この「なれずし」も広くつくられています。
そして「なれずし」のはじまりは、沿岸部ではなく、東南アジアのタイ東北部とラオスにまたがるメコン川流域といわれています。
この地域は内陸ですが、水田が多く、タンパク源として魚の貯蔵が必要であり、今も塩田が多く存在する塩が手に入りやすい地域でありました。
「なれずし」は、タイではパーソム、ラオスではソンパと呼ばれ、いずれも酸っぱい魚という意味からきているそうです。
中国における「すし」
「すし(鮨)」の文字が最初に登場するのは、中国最古の辞書『爾雅』(紀元前5〜3世紀頃)。
そこには「鮨(キ)は魚の塩辛である」とあり、そこには肉の塩辛(カイ)についても記載があります。
三番目に古い辞書『釈名』には「鮓(サ)はつけもの」「鮓(サ)は塩と米で醸すつけもので馴れたら食べる」と記載があります。
つまり古代中国では、「鮨」は塩辛、「鮓」は「なれずし」を指し、当初はこの2つの文字が使い分けられていたことがわかります。
ところが三国時代(3世紀頃)に出版された『広雅』という辞書では「鮨は鮓なり」とあり、その後の文献でも「鮨」「鮓」の2つの文字は同義として扱われています。
つまり、日本に文字の「鮨」と「鮓」が伝わった時点で、2つの文字が意味するところに差はなかったということになります。
まるで、日本発祥の米料理「おにぎり」「おむすび」と似たような話です。
その後の中国では、6世紀に発行された中国最古の料理書『斉世要術』では、魚類貯蔵法として「鮓」に言及し、魚鮓に乾魚鮓、猪肉鮓まで幅広く紹介されており、「なれずし」が発展した形跡がみえます。
ところが、魚を好まない異民族国家である元の時代から衰退をたどり、その後は南部の山岳地帯を除き、鮓はほぼ完全に消滅。
再び中国に「すし」が登場するのは、日本から「にぎりずし」が逆輸入されたときでした。
「すし」の発祥は東南アジアで、中国でも一時発展を遂げるも消滅。
世界で”Washoku”に入る料理の大半と同様、「すし」も日本で独自に進化し、20世紀後半になって一気に世界に羽ばたいた料理なのです。
この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。