焼きおにぎりは「味噌」? 「醤油」 ? そのルーツは関ヶ原にあり。
みなさんは「焼きおにぎり」と言われて、
「味噌」「醤油」のどちらを思い浮かべるでしょうか?
北海道では「味噌バター」という方もいるでしょう。
近年は、冷凍の焼きおにぎりの普及により、焼きおにぎりといえば「醤油」が主流になりつつあります。
しかし少し前までは、飛騨地方から関ヶ原あたりを境に、西は「醤油」と東は「味噌」と、その勢力は拮抗していました。
焼きおにぎりの「味噌」と「醤油」の勢力関係は、歴史や気候が大きく影響を与えていたようです。
その理由を探ってみましょう。
「味噌」と「醤油」は兄弟だった
味噌と醤油は元々中国から伝わった「醤(ひしお)」が起源。
「醤」は塩を使った発酵食品で、使われる材料によって魚醤、肉醤、草醤、穀醤の4つに分類されます。
初期(紀元前12世紀〜紀元前3世紀頃)は魚醤、肉醤が多く、現在も魚醤は東南アジアを中心に広く分布しています。
国内でも能登の「いしり」や秋田の「しょっつる」など、伝統的な発酵調味料として残っています。
一方、「穀醤」は紀元前3世紀頃には中国に生まれ、5世紀末頃に中国大豆を原料とする醤が登場。
現在の味噌と醤油の原型ができたと言われています。
「穀醤」は少なくとも奈良時代には日本に伝わっており、平安京には「醤」と「味噌」を売る店が数十軒ずつあったという記録もあります。
この頃の「醤」は「味噌」になる前の発酵食品に過ぎませんでしたが、その後、室町時代末期から江戸時代初期にかけて、ひとつのもろみを味噌と醤油に分けて生産するようになりました。
つまり戦国時代に、味噌と醤油が袂を分かったと言えるのです。
「味噌」は戦国武将の奨励食品
醤油は今の和歌山県が起源とされ、千葉や瀬戸内、九州など、比較的温暖な沿岸地域で生産が行われてきました。
これには、醤油づくりには味噌に比べて設備投資がかかり、小ロットでの生産が難しいという事情もあります。
そのため、江戸や上方など大消費地に近く、水運がよい地域に生産が偏っている傾向があります。
一方、味噌は醤油に比べ、製造のハードルが低く、栄養に富み、保存性が非常に高いため、戦国武将たちがこぞって味噌づくりを奨励しました。
武田信玄は信濃攻めや上杉謙信との川中島合戦に備え、味噌づくりを盛んに奨励しました。
そのため長野県は、現在でも味噌生産量日本一となっています。
また、仙台の伊達政宗や三河の徳川家康も味噌づくりを奨励。
「仙台味噌」「八丁味噌」は今でも一大ブランドです。
味噌は「手前味噌」という名の通り、家庭でも作ることができ、特に雪深い地域では冬場の保存食として重宝されました。
「味噌焼きおにぎり」は豪雪地域のご馳走
明治以前、今ほど交通事情がよくなかった頃、東北から北陸にかけて
日本海側と内陸部は、冬は雪に閉ざされまさに陸の孤島。
保存の効くコメと味噌が人々の命をつないでいました。
しかしその寒さゆえ、炊いたそばからご飯が凍ってしまう……。
そこで考案されたのが「味噌焼きおにぎり」なのです。
おにぎりに味噌に塗って青菜漬けを巻いて焼いた庄内地方に伝わる「弁慶飯」、上杉謙信が戦場で考案したとも言われる新潟の「けんさ焼きおにぎり」、長野県南部から飛騨地方に残る「五平餅」に、秋田名物「きりたんぽ」。
東北から北陸にかけての雪深い地域では「味噌焼きおにぎり」が、今も郷土料理として数多く残っています。
岩手県のスーパーマーケットでは、梅干し入り味噌焼きおにぎりが人気商品として今でも販売されています。
特に興味深いのは関東地方。
埼玉県を境に北関東は味噌焼きおにぎり、南関東は醤油焼きおにぎりと、はっきりと勢力が分かれています。
北関東では家庭に味噌があり、江戸や千葉では家庭に醤油があったため、各々そのまま焼きおにぎりに使われていたと考えられます。
焼きおにぎりの「味噌」か「醤油」から、ご自身のルーツを探ってみてはいかがでしょうか。
この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。