ブレンド米ってなに?
「ブレンド米」とは、違う品種のお米や同じ品種でも産地が異なるお米を混ぜたお米です。ブレンドはご存知の通りコーヒーやウィスキーでは普通に行われ、一つの「味」のジャンルとして市民権を得ています。
ではなぜお米は「あまり身近な存在」ではないのでしょうか?
ここで「ブレンド米」の歴史を見てみます(諸説あり)。
①ブレンド米が「必須」だった時代(近代~昭和30年代)
昔は今のように美味しいお米が潤沢ではありません。
それこそ各地から色々な品種が少しずつマーケットに出てきたのです。
そもそもお米自体の生産量が少なく、増え続ける人口に追いつけませんでした。当時「外地」と言われていた台湾や朝鮮半島といった植民地からの輸入も多くあり、そういったお米をブレンドしてそこそこの味に仕立てる……それがブレンドの意味であり意義でもあったのです。
②ブレンド米が「嘘をつく手段」だった時代(昭和30年代~平成初頭)
日本の農業技術の進歩により米生産量が増えた時代。
コシヒカリやササニシキといったブランド米の登場により、もはや「ブレンド米」でなくとも1年中美味しいお米が食べられるようになりました。
そうなると「ブレンド米」はお役御免……とはならず、実は一部業者では重宝される手法になっていました。
例えば「コシヒカリ」と称しつつ違うお米をブレンドし、原価を下げて利益を得ていたのです。私が米屋を継いだ平成中頃であってもそういった「ウワサ」は根強く、私が飲食店に営業すると「米屋は最初に良いお米を持ってくるけれど、その後、黙ってブレンドで品質を下げるからなぁ」とよく言われたものです。
③ブレンド米の味が酷評された時代(平成の大冷害/1993年以降)
お米は自然のものなので、豊作・凶作はつきものです。
しかし近年まれにみる「凶作」と言えば平成5年(1993年)の大冷害。
平年を100として毎年のお米の出来具合を「作況指数」という数字で表すのですが、90台になると凶作扱いのところ、この年は何と70台。そのため政府は急きょ外国よりインディカ米を輸入しました。そして日本米とブレンドして販売するように全国の米屋に指示を出し、実際その通りに販売したのですが……これが酷評。
これ以降、「ブレンド米」の印象が一気に悪くなりました。
ちょうど同時期、米屋が「食品偽装」で逮捕されたこともあり、「ブレンド米」はすっかり「日陰者」扱いとされてしまったのです。
④ブレンド米の「新しい可能性」に注目されはじめた時代(現在)
そして今。
気付いたら周囲にブレンド米はなく、コシヒカリやつや姫、ゆめぴりかといった単一銘柄ばかり。そして「平成の大冷害」を知らない人が増えるにつれ、いつしか「ブレンド米」自体が新鮮な響きを持つようになりました。
私は以前「自分の好きなブレンド米をつくろう!」というイベントを開催したことがあります。参加者はお米をブレンドすること自体まったく知らない世界のため、面白がって受け入れてくれました。
飲食店からは「オリジナルブレンド米をつくってくれ」というオーダーが増えました。
弊社はお寿司屋さんとのお付き合いが多いのですが、彼らのこだわりを実現するには単一銘柄では無理です。
例えばササニシキ。寿司向きではありますが、ちょっとパンチが足りません。そこで「ササニシキよりも少し粘りがあり、でもネタの邪魔をしないお米を」というオーダーがあるのですが、その対応はブレンドでしかできないのです。
外国の方と話をすると、日本人がここまで「お米ごとき」に熱量を上げることが信じられない状態です。さらに品種ごとに味が違うとなると「アメージング」。さらに彼らが大好きなお寿司。実はシャリは店ごとに違い、更にその違いを生み出している手法の一つがブレンドとなると、もう「アンビリーバブル」となるわけです。
このように「ブレンド」は今や、
世界に自慢できる手法
になっているのです。
この記事を書いてくれた人:小池理雄(小池精米店三代目)
1971年原宿生まれ。明治大学卒業後、会社勤務を経て2006年に小池精米店を継ぐ。五ツ星お米マイスター。テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネット等のメディア出演多数。
共著「お米の世界へようこそ!」(経法ビジネス出版)