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連載「すしの歴史をたどる」④酢がもたらした江戸中期の「すし革命」

室町時代、「すし」の源流となる「なれずし」は「生成(ナマナレ)」へ。これまで捨てていた米(飯)と発酵した魚を一緒に食べる、という進化を遂げました。
江戸時代に入って平和な時代が続くようになると、江戸庶民の間ではさまざまな食文化が発展しました。

この時代における「すし」の大きな進化は、酢を利用しはじめたことです。

「早ずし」の登場

これまでの「すし」は、魚・塩・米(飯)を原料とし、漬け込んで乳酸発酵させて食していました。
江戸時代に入ると、ここに酢を取り入れ、乳酸発酵をさせずに短時間で酸っぱさを出す「早ずし」という製法が誕生しました。

「すし」に酢を利用する記述が最初に見られるのは、1668年に発行された『料理塩梅集』。この本の中で触れている「鮒鮨漬」の作り方で、

「2〜3日で食べる場合は酒と酢を入れ、4〜5日おく場合には酢は入れない」

料理塩梅集

と記載があります。

酢の原料は酒であり、酒は飯のでんぷんの乳酸発酵を促す効果があります。
さらに同書では、酒を用いずに酢だけを加える「当座ずし」なども紹介されていて、この頃に酢を飯に加えたり、魚にあてたりと、さまざまな方法が考案されたようです。

何ヶ月も待ってられない。
早く「すし」を食べたい!

そんな気持ちから、酢や酒を入れる製法が考えられたのでしょう。

「姿ずし」「棒ずし」の登場

江戸中期(1700年〜1800年頃)に入ってくると、江戸庶民の生活も一定水準以上に安定し、さまざまな食文化が開花。
酢を利用することによって、時間のかかる発酵ずしは衰退し、乳酸発酵を伴わないで酸っぱさを出す「早ずし」が多様な発展をしていきました。
「姿ずし」「棒ずし」といった、現代でも日本各地に存在するすしの多くは、この頃に誕生しています。

「姿ずし」は、頭と尾がついた一尾の魚に頭をつけたまま魚を開き、骨・内臓を除いて酢で締め、酢飯を詰めて元のような形に作ったすしです。
今でも瀬戸内から四国で多く見られ、アユ・サバ・サンマ・アジ・小ダイなど、多くの魚が用いられています。

徳島の「ぼうぜの姿ずし」は農山漁村の郷土料理百選にも選ばれ、すだちの効いた秋祭りには欠かせない料理として有名です。

また、高知の「さばの姿ずし」は、冠婚葬祭や祭事で欠かせない「皿鉢(さわち)料理」の定番です。
 
「棒ずし」は姿ずしの変形で、頭尾を落とした魚を酢で締めたり、たれ焼きにしたりして飯にのせ、布や巻きすで巻いたもので、細長い型を用いるものもあります。
蒲焼にしたウナギや白焼きにして煮たアナゴ、酢で〆たマスやサバ・サンマなど、魚の方に一手間加えたものが多くみられます。

高知の「さばの姿ずし」はゴマサバを使用し、酢と塩をしっかり効かせた豪快な味付けですが、京都の「さばずし(棒ずし)」は脂の多いマサバを使い、やや甘めの味付けで、酢飯に大葉やゴマを混ぜるなど、細かい仕事がなされています。
 
他にも、北のサケやニシン・アワビに、昆布巻きや豆腐、サツマイモなど野菜を使ったものまで、江戸中期にはありとあらゆる食材が「すし」として試されていたようです。

また、江戸市中に「すし屋」が登場したのもこの頃と言われています。

酢を用いるという“発明”により、「すし」は革命的な発展を遂げていったのです。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。