[誰がブランドを決めるのか?]ひとめぼれ編
私がイベントなどで、よくお客さまにお尋ねする質問の一つに「知っているお米の品種名を挙げてみてください」というものがあります。
当然「コシヒカリ」は挙げられますが、それ以外の品種は挙がったり挙がらなかったり。
しかし高確率で挙げられる品種名のなかに「ひとめぼれ」があります。
そして……いまや「希少米」と言っていいほど生産量が少ない「ササニシキ」もあります。
実はこの二つの品種は、片方について説明すると必ずもう片方の名前が挙がってくるという、「運命の品種」なのです。
名前の由来
「ひとめぼれ」は宮城県の古川農業試験場で開発され、1991年にデビューします。その名前は全国3万8000件の応募の中から選ばれました。
ふっくらとした食感や適度な粘りが特徴で、「出会ったとたんに『ひとめぼれ』するような美しくおいしいお米」という意味で名付けらました。
今でこそ珍しくありませんが、この名前にはある特徴があります。
それは「国の機関で開発された品種にもかかわらず、はじめて『ひらなが』で名づけられた」ということです。
それまでは「国の育成地と指定試験で育成された品種については6文字以内の片仮名で命名する」という慣例がありましたが、それを覆したのです。
この背景には「ひとめぼれ」をブランド米として普及させたい、という関係者の想いがありました。
しかし「ひとめぼれ」はデビューしたものの、当初から生産量が爆発的に増えた……という訳ではありませんでした。それは当時、同じ宮城県には「ササニシキ」という大横綱がいたからです。
寒さに強い「ひとめぼれ」
今日、「コシヒカリ」は全国の生産量の約33%を占めるダントツの1位を誇る品種ですが、かつて「ササニシキ」はその「コシヒカリ」と双璧をなす、日本を代表する品種でした。
そして生まれも「ひとめぼれ」と同じ古川農業試験場という、まさに大先輩。
しかし時は流れ現在。「ひとめぼれ」は「コシヒカリ」に次ぐ全国第2位の品種に育っています。いっぽうで「ササニシキ」は1%にも満たない生産量にまで落ち込んでいます。
いったい何があったのでしょうか?
「ひとめぼれ」は、もともと寒さに強い品種として開発されました。
それは東北地方の太平洋側で度々発生する「冷害」に備えるためです。
お米は1年草です。1年に1回しか収穫できないため、その年の収穫量が極端に少なくなると、生産者の収入面や国家の食料安全保障面で重大な影響を及ぼします。
冷害自体は大なり小なり度々発生していたのですが、前述したような「重大な影響」を及ぼすほどの冷害が「平成の米騒動」が起きた1993年(平成5年)でした。
「ササニシキ」は冷害の影響が大きく、収穫量が前年の62%も減少したのです。しかし「ひとめぼれ」はその寒さに強い特徴をいかんなく発揮し、それほど大きな被害は受けませんでした。
翌1994年(平成6年)の夏は高温や収穫期の長雨、台風による水害の被害も重なり「ササニシキ」の品質が著しく低下しました。
宮城県内のササニシキの 1等米比率はなんと10%以下。
等級が落ちると価格も下がるため、やはり生産者にとっての収入面で大きな影響を及ぼします。しかし「ひとめぼれ」はそれほど品質が低下しませんでした。
南国でも栽培される「ひとめぼれ」
1993年と 1994年の 2年続いた大被害により「ササニシキ」の市場評価、そして生産者からの評価も下落したため、 「ササニシキ」から「ひとめぼれ」への作付け転換が急速に進みました。
今では沖縄県でも栽培されるほど、その名前は全国区になっています。
その安定した収穫量、「コシヒカリ」ほど高くない値段、プリッとした食感がどんぶりや洋食にも合うという汎用性の広さ、そして良食味米であること。それら複数の要素が「ひとめぼれ」の評価をゆるぎないものにし、ブランドとして今日、確立しているのです。
この記事を書いてくれた人:小池理雄(小池精米店三代目)
1971年原宿生まれ。明治大学卒業後、会社勤務を経て2006年に小池精米店を継ぐ。五ツ星お米マイスター。テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネット等のメディア出演多数。
共著「お米の世界へようこそ!」(経法ビジネス出版)