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「すしの歴史をたどる」②「鮓」「鮨」「寿司」「寿し」「すし」表記は違えど、どれも同じ”Sushi”!

みなさんは「すし」と聞いて、即座にどんな文字を思い浮かべますか?

現在「すし」には、「寿司」「寿し」「すし」「鮨」「鮓」とさまざまな表記があります。
「鮓」が思いつく方は、よほど「すし」に詳しい方かと思います。
しかし、これらはどれも同じ「すし」で”Sushi”も一緒です。

今回は日本国内における「すし」の文字の変遷について触れたいと思います。

「すし」は「酸し」

日本に「すし」が伝来した頃、その姿は「にぎりずし」とは程遠く、一般的に「なれずし」と呼ばれるものでした。

「なれずし」は魚の肉はもちろん、骨が溶けるまで発酵させる保存食品のため、貝のように遺跡に残るということがありません。
もしかしたら稲作伝来とともにすでに「すし」があったかもしれませんが、「すし」の歴史を遡るには文字の記録をたどるしかありません。
 
広辞苑によれば、

「すし」は漢字で【鮨・鮓】で「酸し」の意で、
①魚介類を塩蔵して自然発酵させたもの。また、さらに飯を加えて発酵を促したもの。なれずし。生成り。
②「寿司」と書くのは当て字で、酢と調味料とを適宜にまぜ合わせた飯に、魚介類・野菜などを取り合わせたもの。いいずし・おしずし・はこずし・にぎりずし・まきずし・ちらしずしなど。

とされています。
 
「鮨」「鮓」「すし」「寿司(寿し)」は表記の違いこそあれ、日本では同じ意味で使われてきた、と考えてよいでしょう。

「すし」はいつから日本にあるの?

日本で最初に「すし(鮓)」の文字が登場するのは奈良時代初期。
718年に成立し当時の税についてまとめた『養老令』のなかに、「鰒(あわび)鮓」「貽貝鮓」「雑鮓」といった記載があります。

少なくとも奈良時代には「すし」は日本に伝来していたことがうかがえます。また、奈良時代の別の税の記録には「鮨」の文字もみられ、平安時代の令文には「鮨は鮓のことなり」という記述もあります。

900年頃に編纂された最古の漢和辞書『新撰字鏡』では、「鮓」を「酒志(すし)」と訓を付けて読み、同義語として「鮨」の字を挙げています。
また同じ平安時代の『和名抄』では、「鮨」に「須之(すし)」の訓をつけており、「鮓」と「鮨」の文字は伝来当初から同訓異字として扱われていたようです。

いずれにせよ、奈良時代の貢物に「鮓」があったことを考えると、「すし」そのものは少なくとも奈良時代より前、飛鳥時代か弥生後期には「鮓(鮨)」が中国より伝来していたと考えてよいでしょう。

すし屋でよく見る「鮨」と「寿司」の違いは?

では、「寿司」や「寿し」は一体いつから使われ始めたのでしょう。

平安以降も、鎌倉、室町、江戸時代中期まで、書物に登場する「すし」は「鮓」か「鮨」。
「寿司」や「寿し」が登場したのは、それから1千年以上後の江戸時代末期。
当時「にぎりずし」が大ブームとなり、巷には多くのすし店が出現。
縁起担ぎの当て字で「寿司(寿し)」という文字が使われるようになったそうです。

街中で特によく見かける「鮨」と「寿司」の文字。
その歴史には大きな違いがありました。
でも実態は「鮓」「鮨」「寿司」「寿し」「すし」、どれも同じ“Sushi”なのでした。

この記事を書いてくれた人:江戸川渓谷(えどがわけいこく)
プロフィール:三度の飯とおにぎりが好き。趣味は道の駅めぐりに商店街散策、メタボ対策のトレッキング。うまいものは足で稼ぐのが信条。ゲットした惣菜で晩酌するのが最近の楽しみ。